• 日本フェアトレード委員会

フェアトレードスタディーツアー 感想・報告

更新日:11月19日




◆報告◆

福岡空港を朝10時50分に飛び立ち、台北、香港、バンコックの空港を経由してやっとコロンボ空港へ到着するのは真夜中0時15分。3時間半の時差があるので、合計16時間半かかったことになる。他の人達より1日遅れたフェアトレードコーヒースタディツアーは、8月2日こうして始まった。深夜ホテルへ向かう車の中から見たスリランカは、東南アジアとは一味違う、不思議の国のアジア。ホテルトパーズに到着したのは早朝3時半。数時間後の朝目覚めて、キャンディの山の頂上のホテルから眺める風景には、涼やかな高原の風が吹きわたっていた。「やってきましたスリランカ!」周囲の植物はまさに熱帯の風貌をしていて、建物や街の風景に英国風があちこちに垣間見られるとても 不思議なところ。

 スリランカ第2日。幻のコーヒー復活が進むプロジェクトの中心、キャンディ県コットマーレー郡ラヴァナゴダ村の工場は、古都キャンディから車で2時間半、有名なヌワラエリアの紅茶栽培の地域を通り抜け奥へ奥へと入って行った先。ジェットコースターより怖い運転の車に、「キャー!」と奇声を上げながら、がたがた揺られ、お尻が痛くなったころ到着。かわいい文字の看板から坂道を登ると、 カラフルでシンプルな衣装を身につけて、とっても眼力のある、でも人懐っこいまなざしの人々が出迎えてくれた。工場の隣には小さな保育園があり、園長先生と15人ぐらいの園児たち。コーヒープロジェクト1周年記念の簡単なセレモニーがやがて始まる。

 「前回来た時はなかった、10mぐらいの長さの手造りの屋根つきテーブルが二列できており、週末には市場になるという。人々がほんとうに変わってきた。」と清田理事長。

この工場がスタートしたのは、わずか1年前である。3年前初めて日本から持参されたコーヒーを飲んだという村の人々が、今では、「まわりの村も巻き込みたい、がんばって仕事をしたい」という発 言。年収が1世帯当たり2万円ぐらいしかないという村である。

 「昔は仕事もなくボランティアで貧しかった。工場ができて変わった。会社だけでなく、村自体がだんだん良くなってきた。」という女性の堂々とした挨拶が、この1年間の大きな変化を物語っているのか もしれない。

 最後にもてなされた心のこもったコーヒーとジャガリ(孔雀ヤシ砂糖のお菓子)、クッキー、バナナも美味しかった。

 次に訪れたコーヒープロジェクトの推進役デヘミ組合長アリさんの家の庭では、パイナップル、ジャックフルーツ、バナナ等に交じって伸び伸びと育っているコーヒーの木を沢山発見!木々には緑色のつややかな実がびっしりとついていた。牛フンの山と植物の葉といっしょに発酵させる肥料小屋もある。小学生ぐらいの息子がするすると気に登って、ザボンに似た柑橘をもいでくれる。ちょっとぱ さぱさしていたけれど、素朴な味がとても新鮮だった。

 途中、ミャータガマというお寺で降りる。りっぱな大木の菩提樹に守られたお寺の裏庭に行くと、バナナの木々の間にコーヒーが植樹してあった。さまざまな混植が試みられているようだ。車ででこぼこ道をまた移動して、新しい植樹のための苗木を育てるナーサリーへ。農業輸出局のウクウェラさんや村の代表者??はコーヒー栽培のこれからについて熱心に語り、苗木を大切そうに見せてくれた。苗床ナーサリーには、10×10個ずつのかたまりできちんと並べられ、小学1年生の数の教室でも使えそうなコーヒーの苗の列が、もう植樹時の6枚葉(40センチぐらい)に成長し、その時を今か今 かと待っている。今年は3万本、2年で合計10万本のコーヒーの木を植える計画だそうだ。プロジェクトは政府の後援も得られて、ますます広がっているようだ。

第3日目に次のプロジェクト予定地として訪れた、キャンディから1時間のピリウエラ村。植えられたばかりの苗木の畑は、1軒の小農家が育てられるほどの例えば100本位のコーヒー園。そのような沢山の小農家が集まって組合を作っている。

 畑は、アカシアやバナナの苗木などと混色されている。起伏のはげしい土地ゆえに、逆に昔ながらの農法が生きて、自然に取り入れられているといえるかもしれない。日当たりや風通し、微妙な気象条件で苗木の育ちもよかったり、悪かったりしている。これからコーヒープロジェクトを新しく始める地域への視察へ同行すると、近くでは紅茶畑で女性たちが手摘みの作業中。政府は一村一品政策だが、作物を多様化したいという村人の意向のようだ。男たちが、牛フンや自然の植物を利用した肥料作りを熱心に説明してくれている。JICAと日本フェアトレード委員会のプロジェクトは、いよいよ次の段階に入ろうとしているようだ。

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 「スリランカに行くよ。」と言っても周囲の反応も鈍かった、私たちにあまり親しみのない国スリランカ。スリランカとは輝く島という意味。紅茶の産地セイロンぐらいしか知識のなかった私だが、いっぺんにこの国が好きになった。仏教が生活に根付き、セレモニーを重んじ、子供も大人も目がきらきらと輝き、ジュラ紀の森と言われる熱帯の木々がまだふんだんに残っている。山奥であるためにブラジルのような一斉伐採ができないのも有利に働いたようで、大地と木々のエネルギーをいっぱい受けている人々は元気いっぱい。「貧しい」(現金収入がないという意味だろう)という農家は、森のほんの一部を切り開いて家を作り、周りの森はそのまま残してその恩恵をいっぱいに浴びて生活しているようだ。家が道路から見えないくらいに森が家近くまで迫っている。同行したひとりが、ヒルに噛まれてしまった・・・。

 「貧しい」村という基準は、あくまでも私たち経済先進国の価値基準。電気が来ていない、トイレが水洗ではない、○○がない、「ない」ことの不便さと「ある」ことの不自由さ。両天秤の両極端。でも、果物は1年中たわわに実り、大地のエネルギーあふれている国スリランカ。日本から遠く離れたこの国で、彼らはいったい何を求めて、どこへ向かっているのだろう。

 そして日本は、これからいったいどんな国づくりをしようとしているのだろう。そんな疑問がふ~っと湧いてきた、とっても考えさせられるフェアトレード・スタディツアーであった。出国のとき、また来たいと思った国スリランカよ、「イストディ!」

                <熱帯森林保護団体ひろしま事務局長  松生由紀子>




◆感想1◆

初めてのスリランカは、とても楽しかったです。

 正直、スリランカに着いてすぐは、独特の空気感にとまどいましたが、すぐに慣れました(*^_^*)

 毎日、スリランカのいろいろな場所に行き、直接自分の目でスリランカの人や環境などを見たことで、沢山感じるものがありました。

 仕事がなくて、観光客などからもらうチップで生活してる人が街中にたくさんいたり、衝撃を受け、少しショックでした。日本は、本当に恵まれているということを実感しました。

 今フェアトレードで清田さんを代表に皆様が、スリランカに直接足を運び、仕事を一から教えて、仕事をしてもらうということが、スリランカの人にとても良いことで嬉しいことなんだなと改めて実感しました。

その喜びが、ラヴァナゴダ村の方々の表情に見られたと思っています。

ラヴァナゴダ村での子どもたちは、目を輝かせていて「勉強したい」と思っている子が多いんだな・・・・とも思いました。

 学びたいけど、学べないという子が、スリランカには沢山いるのではないかな?とも思います。

 事前に調べておけば、鉛筆やノートなど少しだけでも持っていけばよかったなと、少し後悔です。

 また、次回スリランカへ行く機会があれば何か貧しいひとたちのために、お手伝いできればなと思います。

<大学生・大島亜希子>

◆感想2◆

今回の旅で、私はスリランカ7度目でした! 初めてスリランカを訪れたのは、2005年3月、2004年の津波災害の後でした。海岸には、津波で押し流されてきた木材(家屋の残骸)などがまだ、残っていました。それからフェアトレード委員会が活動を開始して、その事務局でかかわることになって4年です。スリランカに行くと、本当に癒されます。私は、スリランカは、人が温かいなぁと行く度に思います。食べ物も果物が豊富で、とても美味しいです。日本でも有名なドリアンも初めて食べましたが、においはきついですが、なかなかの味でした。フェアトレードスリパーダコーヒーが出来上がるまでの苦労も、今では懐かしい思い出です。コーヒー工場のあるコットマレー郡ラヴァナゴダ村の村人との出会いは、私にとって今までにない出会いです。去年12月に、村人達と収穫したコーヒー豆の選別をしましたが、村人の楽しげな(シンハラ語は分かりませんが)会話が今でも忘れられません。私は、最近、日本に帰国する度に又、スリランカを訪れたいと思います。ラヴァナゴダ村に行くと、いつも村人達が私達を歓迎し、お菓子や、バナナ、お茶を出してくれます。貧しい生活なのに村人達はとても快く私達を迎えてくれます。 私は、ラヴァナゴダ村のスリパーダコーヒーをもっと多くの方に知って頂き、飲んでもらいたいと思います。




<事務局・清田朋子>

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